せなか



 憧れるに相応しい背中だった。


 

 本部基地内での狙撃手(スナイパー)の合同訓練には、友人の夏目出穂とよく参加している。それは、訓練でポイントを地道に稼いでいくためだ。

 スナイパーはその性質上、ランク戦でポイントを稼いでいくことが難しい。

 しかし狙撃手(スナイパー)にはその特性から、集中力や忍耐力がある人が多いため、コツコツ訓練でポイントを稼いでいくのは正しい手段であり、雨取千佳もその方法を取っている。

 もちろん合同訓練がない日には、玉狛のトレーニングルームで訓練を欠かさないし、師である木崎に訓練を見てもらっている。

 木崎は防衛任務や大学など、いつも忙しそうにしている事が多く、今日も手が空かないということだった。なので千佳は本部訓練所に来ていた。

 狙撃にはセンスの善し悪しも関わってくるが、基本的には努力した分だけ上手くなるというのが木崎の教えである。

 例えば狙撃時の姿勢だったり、的への照準の合わせ方だったり、そういう細かな部分を完璧にこなせるようになれば、絶対に外すことは無いのだと。

 まだまだ経験の浅い千佳には難しい部分である。だからこそ、訓練で繰り返し練習することで身につけていく必要があった。

 師である木崎が言うには、そういう姿勢だったりなどの振る舞いについては、良いと思う人の姿を真似るのが一番効果的なのだと。たぶんそれは木崎自身の経験に基づく話でもあるのだろうと、話し方から想像がついた。

 ならば、木崎の撃ち方を真似ようと思ったのだが、現在は本職の狙撃手(スナイパー)ではないからと却下された。本部に行けば自分より上手い奴がいっぱい居るからと。

 だからこうして本部の訓練所まで足を運んだのだった。

 狙撃手(スナイパー)の訓練室に入れば、非番の隊員が数多く訓練に取り組んでいた。これならば、参考にしたいと思った人物も居そうである。

 射撃用ブースを端から見て回ると、すぐにその人物を見つけた。的の中心から一瞬たりとも外れることの無い正確な射撃を行う人物、奈良坂透を。

 初めて出会ったときは近界民(ネイバー)と間違えられ、それを丸く収めようとした遊真に正確な狙撃で攻撃するなどの姿を見せつけられたために、怖い印象を持っていた。

 しかし、界境防衛機関(ボーダー)に入り、狙撃手(スナイパー)の訓練を受けるようになると、真面目で訓練に真摯に取り組む姿が印象的であった。初めの怖い印象などすぐに拭い去った。

 寡黙で黙々と訓練に打ち込む姿をよく見ることが多く、しかし周りからアドバイスを求められれば、きっちり教えたりもしているようだった。聞くところによると、弟子もいるようで、あれだけ真面目に訓練に打ち込み、実績もあるならば納得の事実である。

 だから今日はその射撃の際の姿勢を見て、自身の参考にしようと思った。

 銃口の向け方、体の重心、引き金を引く時の指、細かい動作まで見逃さないように集中してその動きを目で追う。それは見事なほどに無駄のない動きで、洗礼されている。誰しもが必ず見入ってしまうのではないかという衝動に駆られるほどに。

 そう、だから、千佳はこの時見入っていたのだ。奈良坂透のその動きに。

「…どうした」

 奈良坂は背後からの視線が途切れることなく自分に向かっている事が気になり、ついに振り返った。

 見られている事は珍しい事ではなかったのだが、明らかに長い時間見続けられていたし、その視線は悪意のあるものでは無い為に、奈良坂の方が気になってしまい、狙撃に集中し続けられなかったのだ。

 本当に集中して見ていた千佳は、声を掛けられたのが自分のことだと思わず、一瞬どうしたんだろうと疑問を顔に出したが、自分が見つめていたことに対してだと気が付き、慌てる。

「すっ…すみません!不躾でした!」

「いや、見られるのは別に慣れている。それよりも何か理由があるのか?」

 奈良坂のその声色から、叱られたり注意される訳ではない事を察し、千佳は少しほっとして問われたその理由を説明する。

「えっと…他の狙撃手(スナイパー)の動きを見て、勉強するようにと言われていて、…勝手に見ててすみません」

「それは、レイジさんの教えか?」

「はい、そうです」

 その言葉を聞いて、奈良坂は今までの行動に納得したように小さく頷く。

 しかし、疑問も浮かんだ。

「教官をしてる東さんや荒船さん、…ランク一位の当真さんを参考にした方がいいんじゃないか」

 レイジさんの教えであるならば、その師である東さんが一番適切なのではないかと奈良坂は思った。とはいえその東も最近は教官としての仕事が多く、訓練している姿を見ることが少ない。ならば教えるのが上手い荒船や、不本意ではあるが、狙撃の腕は確かな当真を参考にするのが妥当なところではないか。

「俺の狙撃は至って変哲もない、基本通りの動きだが」

 佐鳥の様に自分だけの技を身に着ける訳でもなく、ただ単純に、基本の動きを一瞬も無駄なく行う事に注力してきたのだ。特に参考にする要素があるとは思えなかった。

「いえ、基本をすべて押えた、いい動きだとレイジさん…私の師匠が言っていました。私とタイプが似ているから参考になるとも」

「レイジさんが…」

 狙撃手(スナイパー)を目指す誰もが、いや、界境防衛機関(ボーダー)隊員ならば誰しも一度は憧れる人物である木崎からそのような評価を間接的に貰い、柄にもなく少し動揺した。

 そして次の瞬間、奈良坂は、さらに動揺することとなる。

「それに、私も奈良坂さんの無駄の無い正確な射撃、好きです」

 そんな風に率直に純粋な目で、そんな、言葉を、伝えられるとは思っていなかった為に、ここ最近で一番驚き、動揺する事となった。

 とはいえ、ポーカーフェイスである奈良坂の表情自体は普段と変わらなかった為に、そんな動揺していると分からない千佳はその先の言葉をどんどん紡ぎだす。

「過去のランク戦も見させてもらったんですが特に──」

「…ちょっと待った」

 これ以上その言葉を聞けば、収拾がつかなくなると判断した奈良坂は、声を絞り出すようにして言葉を続ける千佳を止めた。

 止められた方の千佳はというと、自分の行動が良くないものだったのだと思い、申し訳なさそうに下を向く。

「す、すみません、しゃべりすぎました」

「いや、何と言うか、そういう風に言われる事に慣れてなくて…その、恥ずかしい」

 狼狽する奈良坂の姿を見て、千佳は自分の言葉を思い出す。

 その発した言葉を心の中で反復し、千佳も恥ずかしくなった。技術的な面でとはいえ、今思うとすらっと言葉にしたことに驚きだ。

「じゃ、邪魔してすみません!か、帰りますね」

 パニックになってどうしていいか分からず、逃げるように帰ろうとしたが、意外にも奈良坂は千佳を引き止めた。

「いや、別に見ていってくれて構わない。人に何かを教えられる技量があるとは思えないし、俺の射撃が参考になるかは分からないが」

 まだ動揺の色が隠せていないようではあるが、素直な気持ちに答えるように、射撃を見ていくことを許可した。

 千佳としても、まだ発言に対する恥ずかしさはあったが、本人の許可がとれていて、近くで見させてもらえるのはありがたかった。

「はい!ありがとうございます!お邪魔にならないように見学させていただきます」

 素直で真面目なその返事に、奈良坂は何故か震えを感じた。

 それは、千佳がこれから必ず伸びてくる脅威的な人物なのだと、直感的に感じたからに違いなかった。