その傷を私が癒せたらいいのに。
先日の大規模侵攻は、三門市に多大な爪痕を色濃く残す結果となった。
一般人に死人は出なかったものの、ボーダーサイドは問題を抱えることとなる。
雨取千佳も大規模侵攻の際には第一標的となり、トリオンキューブにされるという事態に陥ったが、修の機転で近界民に捕らわれるという事には至らなかった。
しかし、その代償として修は大けがを負い、現在も三門市総合病院にて意識不明のまま入院している。千佳は交代で修の様子を伺いに行っているが、いまだ目を覚ます気配はない。
その日も夕方から修の見舞いの予定があり、その前に日課としている体力作りのトレーニングを師であるレイジと共に行っていた。
いつもと同じ玉狛支部付近の川沿いのコースを走り込むが、その日はコースの中ほどでレイジは足を止めた。
「どうしたんですか?」
「少し息が上がっている、最近は修の見舞いでちゃんと休めてないからだろう。トレーニングは少し休憩してから再開だ」
「はい、すみません」
自分では気が付いていなかったが、体調が万全ではなかったようだ。自分の体調も管理出来ないのだと思われるのは恥ずかしかった。早く手を煩わせないような一人前になりたいのに。
「謝らなくていい、問題があるほどの事でもない。それに、俺も少し寄りたいところがあるから、そこで休憩でいいか?」
「もちろん大丈夫です」
「なら、ここから少し坂を上る事になるが、着いて来い」
案内されるままに、坂の続く道をレイジに続いて少しだけ上った。
到着したその場所は、歩いてきた道から考えてそこまで高低差があるとは感じなかったが、三門市が一望出来るほどに絶景だった。
「すごい…見晴らしがいいですね」
「ああ、だから時々ここに寄ったりする」
レイジもこの開けた景色を眺めながら言葉を返す。身長の高いレイジが千佳に背を向けて喋るという事は少ない。それは、声が届きにくくなるからであり、普段は気を使って千佳の方を向いてしっかりと伝えてくれるのだ。
ただ、今この場では、あえて背を向けているのだと感じた。
それが何故なのかは分からない。本当に感覚でしかないが、確かにそうなのだと千佳は思う。
寄りたいところがある、と断ってこの場所に来た意味が確かにあるのだろう。千佳はそれをレイジが自分に話してくれるのかは分からないが、話してくれる気があるのなら、その時まで待とうと思った。
改めてこの高台からの景色を見渡す。近くは警戒区域内ということもあり、建物が残っていたり崩壊していたりと様々である。特に西側は更地になっている。大規模侵攻の爪痕が色濃く残っているという風だ。
千佳としても恐怖が色濃く残る事件となった。それでも、事件後時間が経つと恐怖の印象よりも、自身が弱く何も出来なかった事を責めた。明らかに近界民が狙っていたのは千佳本人であり、それは前から分かっていた事だが、トリオン量が多いからという理由だ。
自分の体質の所為で、過去に大切な人を失ってきた。そんな事になるのが嫌でボーダーの戦闘員になったのにもかかわらず、また自分の所為で自分の周りの人を巻き込んでしまった。
誰も千佳を責めたりなどはしなかったが、千佳を守る為に遊真が出穂が先輩方が危険な目に遭った。修はもしかしたら死んでいたかもしれない。
だから、早く、早く一人で戦えるように、強くならなくてはいけないのだと。
再度決意し直し、ぐっとこぶしに力を入れ直した。
「千佳、気負うなよ」
すぐ隣から、そう言葉を落とされる。
千佳が意思を固めたのを察した様に。
でも、と千佳は真っ直ぐ三門市の光景に向けていた視線を真横のレイジに向けるが、レイジの視線はまだ三門市の姿を捉えていた。
「それは、お前が抱え込む事じゃない」
千佳の考えを見抜かれていた。
自分の力不足が招いた結果だったと。自分のトリオン量の所為で狙われて、また周りに迷惑をかけた事を。その責を負う覚悟をした事を。
「お前はまだ訓練生で、戦い方も学んでいる途中だった。だから今回の事は不測の事態に対応出来なかった正隊員の責だ」
そんなことは無い。正隊員の皆は全力で私を助けようとしてくれたし、助かった人だって多い。第一次大規模侵攻と比べてはるかに規模の大きかった今回の事件でも、出来るだけの事をしてくれた。
「ここから見渡せる景色も、一週間前に見た様子とは変わってしまった。今回の大規模侵攻で一般人に死人が出なかった事は、ボーダーの一員として役目を果たした結果だと言えるが、一般市民からしてみれば街は被害を受けたし、ボーダーは何をしているんだという気持ちになるのも無理はない」
そうだ、ボーダーの内部事情など分からない一般市民からしてみれば、ヒーローであるボーダーが何故近界民を食い止められなかったのかと思うのだ。過程など関係ない。結果しか見えないのだから。
だから悪い結果が数値として出てしまうのは、一般市民の反感を買う材料となる。
「ボーダーとしても6人の犠牲者と、33人の訓練生を奪われた事は大きな痛手だった。確かにあの場での最善は尽くした。だが、最高の結果ではなかった」
そう語るレイジの顔はとてもつらそうだった。
普段そう多くを語る人ではない。だからこそ、レイジが静かに話し聞かせてくれる内容には重みがあった。
今回の事件について、レイジ自身ももしかしたら千佳以上に心を痛め、気にしているのかもしれない。
あんなに体を張って皆を助けてくれたのに、そんな風に心を痛めているという事実が、自分の事より辛かった。
だから、たとえお節介なのかもしれないけれど、千佳は言葉を尽くすという行動しかとれない。
「レイジさんは私や他の訓練生を全力で守ってくれました。だから私がここに居られるんです。レイジさんこそ一人で責を抱え込まないでください」
「…そうだな」
そう言ったまま、レイジは再度黙り込んでしまった。
余計な事を言ってしまっただろうか。それでも、自分が発した言葉を撤回しようとは思わない。
多分、無意識のうちに責められたかったのだ。そうする事で気持ちが少し軽くなるのだと。それは自分が今さっきまで無意識にそう考えていた事である。
レイジほどの人間であったとしても、今回の事件は心を痛め、動揺するには十分な出来事であった。それを心に刻み、忘れないようにするために今日、ここに来たのかもしれない。
その痛みを共有したくて、すぐ隣に居るのに距離を感じるレイジの服の裾をぎゅっと握りしめた。
貴方は一人じゃない、私もここに居る、と。
服の裾を握りしめた気配を感じてか、レイジは今まで張りつめていた気を解いたようだ。
ずっと遠くを見ていた視線も、初めて千佳の方に落とす。
そうしてようやく視線が絡む。
だからといって何かを言う訳じゃない。それでも、自分の方を見てくれるだけで良かった。一人で抱え込んでいるのではなく、私も隣にいるのだと思い出していてくれれば、それだけで。
そして、欲張りな思いを抱くのだ。
あなたのその傷口を私が塞げたらいいのに。
あなたの心の隅で、傷ついた貴方の心を癒せたらいいのに。
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