「え~!千佳ちゃん実際に海に行ったことないの?!」
四回目のランク戦が始まる数日前、珍しく玉狛のメンバーがほぼほぼ揃っていたため、皆で昼食をとる事となった。そのテーブルでの話の中で、前回のランク戦の話から、泳げるかどうかという話の流れになり、海に行ったことがあるかという議題となった。回数に差はあれど、ほぼ皆が海を経験している中で、千佳だけが実際に海を見たことが無いという。
「はい…、あまり行く機会が無くて…」
「僕も数回しか行ったことないな」
「うーん確かにここからは遠からず近からずという距離にあるからね~」
三門市はある程度の規模の都市であり、海を要する市でもあるが、界境防衛機関のあるこの周辺は海に面していない地形だった。そのため、海は日常的に訪れるような場所では無かった。
「ウミってそんなにいいものなのか?」
遊真にしてみれば存在自体は知っているが、そこにあって当然のものにそんな風に意味を見出せないといった風だ。
「そりゃあ、青い空!白い砂浜!海には青春が詰まっているからね!」
「ほう…青春が詰まっているのか。で、青春ってなんだ?」
「少年少女にしか出来ない、あんなことやこんなことの総称って感じかな」
「う、宇佐美先輩…その言い方はちょっと…」
宇佐美の含みのある言い方に、修は躊躇いを見せる。何をどう解釈するかは個人の自由であるが、まあ、そういう事なのだろう。
「でも珍しいわね、海に行ったこと無いなんて。学校行事とかであるでしょ普通、臨海学校とか」
小中学生の泊りがけの学校行事としては臨海学校は定番的である。疑問を問いかけた小南もその定番に当てはまるように、中学時代に学校行事で海を訪れていた。だから数年しか違わない千佳が海へ行ったことが無いというのは不思議であったのだ。
「海じゃなくて、山には行きました」
「真逆ね…」
「小南先輩、最近では興味本位で肝試しをした生徒が必ずと言っていいほど行方不明になるから、臨海学校は廃止になったんですよ」
「え!なにそれ本当!?幽霊の仕業ってやつ!?」
「さあ、どうでしょう。嘘ですから」
「う…そ…?」
「はい、嘘です」
「と、とりまる!嘘ついたのね!」
小南と烏丸が言い合いをする中(一方的に小南が文句を言っているだけではあるが)、いつもの事だとほかのメンバーは気にせず話を続ける。
「ま、嘘じゃなかったとしても、幽霊というよりは近界民の仕業って考える方が自然だよね~」
確かに三門市で人が居なくなるという事件であれば、幽霊や神隠しなどの現象を疑うよりも、まず近界民が原因だと考えるのが妥当だろう。とはいえ、臨海学校といえば肝試しを行うというのは、一種のテンプレートの様なもので、そこに幽霊が出てくるという発想もおかしな話ではないのだが。
幽霊の話は置いておくとして、と前置きをして宇佐美は話を進める。
「百聞は一見にしかず、ってことで行ってみようか海。ここから車で三時間くらいだし、そう遠くないでしょ」
「三時間は遠い距離だろ。それに、今そんな事をしている時間あるのか?」
今まで黙って皆の話を聞いていた木崎が待ったを掛ける。
車を使うのならそれを扱うのは必然的に木崎となる。それを差し置いても、そんな遠出をしている暇があるとは師として思えなかったのだ。
「それに今の時期に行っても海に入れるわけでもないし、寒いから風邪ひくぞ」
「確かに…今、二月ですもんね」
木崎の言葉に千佳も納得する。二月といえば雪が降ってもおかしくない冬の真っただ中である。海といえば夏のイメージがあり、冬の海は想像がつかなかった。だから風邪をひくという忠告ももっともなものなのだろう。
「まあ…そうだけど、みんなで息抜きっていうか、パーッと遊びたいじゃない?」
「だから、今の時期の海で何が出来るんだって話だ」
「うう…おっしゃる通りです…」
完膚なきまでに叩き落されたと言わんばかりに宇佐美はがっくりと肩を落とす格好をとる。木崎の言わんとする事が理解できているだけに、返す言葉が無い。
「あー、でも千佳ちゃんに見せたかったな~海」
「また機会あった時に皆さんで行きましょう?」
「うーん、千佳ちゃんは本当優しい~。ごめんね、誕生日プレゼントに思い出をあげたかったんだけど…」
宇佐美の唐突な誘いには、誕生日プレゼントの意味も含まれていたのだった。先日知った千佳の誕生日に、当日パーティーを出来なかった分、何かイベントごとを催そうという計らいであった。
どうにかならないものかと、考えを巡らせていた宇佐美が、あっ、と何かを閃いた様に勢いよく顔を上げる。
「本物じゃないけど、雰囲気だけでも味わってもらうために仮想戦場に海を構築してくるね!」
夕方くらいには出来上がるから!と言い残して宇佐美はリビングを飛び出して行ってしまった。
その様子を見ていた千佳は驚き、唖然としてしまった。
「なんというか…いつも宇佐美先輩は凄いですね」
「鉄砲玉みたいなのよ。まあ、そこがいいところでもあるけどね」
烏丸への文句の嵐に区切りがついたのか、落ち着きを取り戻した小南は宇佐美をそう評価した。
「遊真、食べ終わったなら模擬戦やるわよ」
「りょーかい」
「修、この後本部だろ。途中まで一緒に行きがてら経過を聞こう」
「はい!烏丸先輩」
順にリビングから人が居なくなり、残った千佳も食事をすでに終えていたため、訓練の為に立ち上がる。
「私も訓練始めますね」
「ああ、宇佐美が顔を出すまでは集中して出来るだろう」
賑やかだったリビングに静けさが漂い、最後となった木崎はその扉をパタンと閉めた。
* * *
あれから数時間が経ち、本日分のメニューをクリアしたところで、宇佐美から通信が入った。
「千佳ちゃん、レイジさん、ちょうど区切りいい感じかな?」
「あ、はい」
「じゃあ、そこのフィールド変更するね~」
昼に行っていた海のフィールドを作成したのだろう。そういう手際の良さは常々感心するところである。
いつもの河川敷のから、海を見渡せる堤防へと変わる。空の鮮やかさは変わらないが、視界が一気に開け、一面の青が飛び込んでくる。
「わ…すごい」
「でしょでしょ?」
自信たっぷりに浮かれた声で宇佐美は返答するが、その声はずっと通信から聞こえていた。
「あの…宇佐美先輩はこっちに来ないんですか?」
「いやまあ、私はね~。今度みんな集まった時まで取っておくよ」
宇佐美は躊躇いを含んだ言葉で、濁す様に答えた。
そして、じゃ、私は夕ご飯の仕度するから、二人でごゆっくり~と言って音声が途切れた。その言葉通り、通信を止めて夕ご飯作りの為に台所へ移動したのだろう。
「…まったく、あいつは」
木崎は呆れた声でそれだけつぶやいた。二人はそこそこ付き合いが長いので、分かり合う部分があるのだろうか。であったばかりの千佳にはよく分からない。
「千佳、もう今日の訓練はこれで終わりだ。だから換装を解くといい」
「あ、はい」
訓練の為に換装していたトリオン体を解除し、お昼と同じ格好に戻る。訓練室内であるのに、トリオン体でないというのはなんだか不思議な感じではある。
そうして生身の自身の瞳で見る景色は広く、大きく、青く、理由は分からないが感動した。宇佐美が見せたがっていた理由が分かった気がする。
「海ってこんなに青いんですね」
「空が青いからだという話もあるが、実際にはまだ理由は解明されていないみたいだな」
空の色が反射しているからというのが一般的に言われている事であるが、現状決定的な理由は見つかっていない。一番有力とされているのが太陽の光による効果によるものだという。
「なんにしろ、ここの天候を晴天に設定したおかげだな」
「光がキラキラと反射していて、綺麗です」
「今の時間に合わせて夕方を映し出すと思ったが、スタンダードに昼の設定にしたんだな」
「夕方だと違く見えるんですか?」
空も時間帯によってさまざまな顔を見せる。だから海も同じように変化するのだろう。
「ああ、日が沈む頃だと光の帯の様に見えるな」
「それも素敵ですね」
「まあな。自然の織り成す景色っていうのはどこか心惹かれるものだ。あまり外に出たことが無くて、見たことが無いというのなら、このランク戦が終わったらどこへでも連れて行ってやるよ」
「…いいんですか?」
外出の誘いに嬉しくなるが、その反面忙しい木崎の時間を使わせてしまう申し訳なさもある。それでも尊敬する木崎と同じ世界を共有出来る事は素直に嬉しい出来事だった。
「お前のそれは、近界民を恐れての事だったんだろう?だったら界境防衛機関隊員になった今なら関係のない事だし、ある程度の近界民なら対応に問題ないレベルだろう。それに俺が一緒なら尚更深く用心しなくてもいいだろう」
千佳の考えは、すでに見破られていたようだ。
そう、誘導装置が開発されて、禁止区域内にしかほぼ近界民 が現れなくなったとはいえ100%では無い。だからあまり界境防衛機関の基地から離れる事はしてこなかった。また誰かを巻き込むことにはなりたくなかったから。
「そう、評価していただけるのは嬉しいです」
「とはいえ、まだ遠征に選ばれるレベルではないから、まだまだ精進が必要だがな。けど、そうだな…A級に上がれたらその祝いとして実際に海に行くか。ちゃんと夏にな」
「もっともっと精進します。それで次の夏に海に連れて行っていただける様に」
目標があると方向が決まって、そこに向かって頑張っていける。そして約束は、二人を繋ぎ止める糸となる。
千佳は、今の師弟関係に心地よさを感じている。だけれど、それはいつか目標が達成した時に解けてしまう関係なのではと不安も感じていた。だから、それ以外の繋がりを紡ぎたかった。細くて不安定な糸でも、それが先に繋がっている事が嬉しかった。
「そろそろ戻るか。いいもの見せてもらったし、夕飯づくりの手伝いをしてやろう」
「そうですね、早く感謝と感想を伝えたいです」
作り物だけれど、鮮やかな優しい世界から二人で現実へと帰還した。
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