Regress for Regret - 2.あいをかした(あいおかした)

 米屋はこの当時、宇佐美と離れる事などひとかけらも想像していなかった。もちろんずっと一緒に居られるわけ無い事は認識していたし、今までだって常にべったり行動を共にしてきた訳でも無い。いとこという?がりがあるとしても、そこまで何もかも同じに生きてきた訳では無い。

 ただ、ここ数年――中学に上がって、界境防衛機関(ボーダー)に所属してからというもの、共に行動する事が多くなっていた。学校でのことも界境防衛機関(ボーダー)でのことも、宇佐美について行けば間違いは無くて、彼女の隣には安心と正しさが常にあった。その生活に慣れてしまっていると言えばそうなのだろう。だからこそ、この関係がこの先もある程度ずっと続くと疑いもしなかった。

 その思い込みが打ち破られたのは中学三年の秋の日。米屋の誕生日が間近に迫ったある日のことだった。

 この日、自分の家だと別の事に手を付けてしまうからと、宇佐美は勉強をするために米屋の家へ来ていた。勉強を捗らせる為になのだが、結局いつも話をしてしまう訳だからあまり勉強なんて頭に入りそうもないのだが、宇佐美が言うには家で一人で取り組むよりは良いらしい。

 自分の家じゃない事で、目の前の事しかやることが無い環境となり勉強が進むらしい。どんな場所で、どんな状況でも勉強に対して集中など出来ない米屋にとってはあまり理解は出来なかった。

 もくもくと数学の問題を解く宇佐美の横で、いつも通り米屋はマンガを読みながらその様子を伺っていた。前に一度せっかくだからと一緒に勉強しようと誘われてしぶしぶ承諾したが、米屋が問題を解けなさすぎて宇佐美が先生モードに入ってしまい、結局のところ宇佐美は自身の勉強に手が付けられなかったのだ。米屋としてもあれやこれやと追加で色々な事を叩き込まれてげっそりしてしまい、それ以来同じタイミングで勉強する事は控えている。

 とはいえ勉強が苦手で、なおかつ興味もない米屋が何も勉強しないままで言いわけが無く、何とかして学力アップを図りたい宇佐美は直接教えない代わりに、毎回帰り際に置き土産という名の宿題を出して帰るのだった。

 さすが説明の鬼と言われるだけあって、なかなか出題の仕方が上手いのだ。少し頑張れば解ける内容と量を毎回出していく。内容もまとまっていて、解説もちゃんとついている為に、これを問題集として売り出したらバカ売れするんじゃないかと思う程である。

 この置き土産をちゃんと説いているからこそ米屋はギリギリ赤点を(まぬが)れていた。もちろん全科目対応している訳では無いので、必ずしも毎回赤点を一つも取らないという結果には至ってはいないが。

 この置き土産がかなり効果がある事は実証されていて、過去に面倒になり問題を解くことをサボった時には、誰が見ても間違いなく酷い解答をして、即追試となってしまった。宇佐美の用意した問題を解くことで勉強が出来るようになったという実感は無いのだが、実際に効果が出ているので、うまい事記憶に残っているのだろう。

 そんな事もあって、宇佐美の出す問題だけは真面目に取り組むことにしている。しかしその問題を渡されるのは宇佐美が帰る直前であり、今はというと米屋はやる事も無く暇を持て余している。マンガを読むのも飽きてきた。

 鼻歌交じりに陽気に問題を解き進める宇佐美の様子を見に、米屋は手にしていたマンガ本を閉じてベッドから降りる。宇佐美の背後に回り込み、姿を覗き込むとリズム良くシャーペンを滑らす姿を捉え、素直にすごいなと感心する。

「なー栞」

「んー?なに?」

 振り向くことも、手を止める事も無く、だけどちゃんと返事を返すのだ。

「なんか最近、勉強する時間長くね?」

 前は一時間くらいで終わった、と声を上げることが多かったが、今日はすでにその時間を超えている。それに今日はいつもと違って米屋と喋りながら勉強するという事も無く、黙々と解いていた。前は片手間にという感じだったので、それなりに時間をかけていたと思うが、今日はそんな事も無かった。

「いや、だって期末試験近いし」

「あー、そうだったっけ」

「そうそう。次の試験までが内申に書かれる訳だし、いつもよりかは頑張るよ」

 言われてみれば確かにそうだったかもしれない。そんな事をホームルームで釘刺された様な気もするが、すっかり忘れていた。

 忘れていたと言えば次の試験があと二週間後に迫っているという事も忘れていた。

「けどさ、栞は普通に成績良いんだし、内申とかそんなに気にしなくても大丈夫じゃね?」

「いやいや、そんな余裕満点ってほどでもないしね~。独自問題が出題される試験だから一応はその対策もしておいた方がいいかなーって」

「そんなんあったっけ?」

 前に大まかに受けた受験の流れを思い出すが、そんな話はあっただろうか。

「あれ?陽介には言ってなかったっけ?私、陽介の受ける事とは別の高校受けるよ」

「え」

 それは初耳だった。が、そういえば奈良坂が界境防衛機関(ボーダー)提携校でも、進学校の方を受けるから、米屋と三輪とは違う所に行く事になるかもなと言っていた気がする。

 ともすると勉強の出来る宇佐美が進学校の方を受けるのは自然な流れである。良く考えればそれが普通の事なのに、一緒に居る事が当たり前みたいに思っていたから、米屋は驚いてしまったのだ。

「そうだったっけか…いや、そうなんだろうけど。なんか」

「陽介?」

「あー、いや、俺本当にバカだなって」

「何言ってんの今更」

 呆れたようにそう言葉を返した宇佐美だったが、米屋の様子が普段と違う事に気が付いて、シャーペンを動かしていた手を止めて、ノート類もすべて閉じて、真正面に米屋を捉える様に座りなおした。

「ちゃんと伝えて無かったのは悪かったけど、そんなに何に動揺してるの?」

「や、ちゃんと考えれば分かる事だったけどさ」

「うん」

「栞とは別々になるんだなと思ったら、実感が湧かないっていうか」

「不安?」

 口ごもってしまった米屋自身でも良く分かっていない感情を宇佐美は当たり前みたいに言い当てた。そう、確かに不安なのかもしれない。いつでも頼りにしていたから不安になるとかではなく、いつでも隣に居てくれる事が当たり前みたいで、でも、そうじゃなくなるって事がきっと不安なのだ。

「多分そう。不安なんだと思うわ」

「でも、別に決別って訳じゃないよ。今みたいにいつだって会える」

「けど、今までみたいに思い出は共有出来ない」

 学生である今は、一日の大半を学校で過ごすこととなる。もちろん界境防衛機関(ボーダー)の任務のある時はそうともいかないが、イベント事の多くは学校での出来事となる。文化祭だったり、試験勉強だったり、お昼ご飯だったり。

 それらの思い出が別々になるのだ、この先は。

「そんな事言ったらずっと離れられないよ?」

「そうだけど、すぐそうなるとは思っていなかったって言うか、もう少し先の話だと思ってた」

「準備不足?」

「そーかも。情けないけど、そんな感じ」

 今ものすごく子供っぽい事言っているなって思うし、宇佐美に対してわがまま言っている事も米屋はちゃんと認識している。けど、今すぐにはこの感情をどうしようもない事だけは自分でも分かっていた。

「でも、私は志望校かえないからね」

「そりゃそうだろ。だってこれは俺のただのわがままじゃん」

「ちゃんと分かってるから大丈夫だよ、陽介は。でも、もし新しい環境に慣れるまで不安だって言うんだったら、その分はちゃんと一緒に居てあげるから」

 そんなの結局のところずっと離れられないのではないのだろうか。こうやっていつも米屋を甘やかすから、それに慣れてしまっているのだ。

「陽介のわがままを聞いてあげられるのは私だけでしょ?」

「すげー殺し文句」

 ははは、と声を上げて笑ってしまった。そこまではっきり断言する宇佐美を見ていたら、ぐだぐだとしている自分に笑いが込み上げてきてしまったのだ。

 やっぱり敵わないなと米屋は思う。いつだって正しくて、優しくて、好きだなと思う。

「でも、今一緒の学校に進学してくれーってわがまま言っても叶えてくれないんだろ?」

 冗談のつもりで意地悪な事を言う。全部のわがままを叶えてくれるわけじゃないだろうと言う様に。

「そりゃそれは陽介の本心じゃないからね。んや、ちょっと違うか。そういうこと陽介は言わないでしょ?」

「まーな。今のは気になったから聞いてみただけ。やっぱり栞にはかなわねーな」

 何が本気で何が冗談かまで言わずとも分かってしまうのだ。だから一緒に居てラクだし、楽しいと思う。一緒に居たいと思う感情は、好きだと思う事と同じなのだろうか。唐突に米屋はそんな事を思った。

 世間的に言われる好きという言葉が、大きく二つに分類されるのは知っているが、自分の感情がそのどちらなのかは分からないな、と思う。一緒に居たいし、同じことを共有していたい気持ちはどちらのものなのだろう。

 普通に質問すればいいだけではあるが、米屋は興味と好奇心から、別の方法を取った。

「なー、栞」

「うん?」

「セックスしたい、ってい言ったらどうする?」

 これもわがままの一つだと言う様に、何気ない問いかけの様に、今までとは違う行為を迫る。でも実際したいと前から思っていた事でもある。

 前に友達同士の間でそういう行為についての話になった時に思い描いたのが目の前のいとこの事だった。もしかしたらそれ以外の人物を良く知らなくて、宇佐美の事は近くで一番よく知っているから思い浮かべただけかもしれない。

 でも、一度思い描いてしまえばその想像を振り払う事も出来ず、その想像は膨らむばかりだった。だからてっとり早くそれを確認してみたかった。ただの興味であるといってしまえばそれだけの事。

「おお、それは唐突だね」

「やっぱだめ?」

「ゴムは?」

「ある」

「じゃあいいよ」

「…マジ?」

 軽々と承諾され、米屋はみっともなく動揺した。確かに本気ではあったけれど、こんなこと言ってしまうのはという躊躇いもあって、出来るだけ冗談の様に言ったはずだった。けど、それを承諾されて動揺しないはずもない。本気じゃなかったら断ると言っていたばかりで、ということはこれが本気のお願いだと分かった上での返事なのだ。

「うん。ってか陽介から言ったことじゃん」

「いや、OK出るとは正直思ってなかったわ」

「そう?」

 宇佐美はなんでもない様に軽く首を傾げて答える。

「言ったじゃん、ちゃんと一緒に居て、陽介のわがままは聞くって」

「これ、わがまま扱い?」

「いや~どうだろ?でもちゃんと傍に居るって実感できるでしょ」

 慈しむように宇佐美は米屋に寄り添って抱きしめた。これが同情でも庇護欲でもなんでも良かった。世界で一番大切な人の知らない部分をこれから知る事が出来るのだから。もちろん未知の事を知りたいという興味本位でもある。だけど、相手が宇佐美だからそう思うのだ、多分。

 そうしてこの日初めていとこという壁を越えて、むちゃくちゃに抱いたのだ。

 

          * * *

 

 その日、米屋は防衛任務中に些細なミスを犯し、隊長である三輪とオペレーターの月見から散々お説教をされるも、心ここにあらずという状態だった。普段と様子の違う米屋に対し、今何を言っても意味が無いと判断したのか、お説教は一旦中止となった。

 何かあったことは明白だったが、三輪はその何かを聞き出す事に対して適任であるとは言い難い事は誰からも明白で、自然な流れで奈良坂にその役割が回ってきた。後は任せたとでも言う様に、気を利かせたのか隊室には米屋と奈良坂だけが残された。

 黙りこくっていても仕方がないと、奈良坂は呆けた状態の米屋に何があったのか問いただす。

「何があったんだ」

「栞とヤった」

「は…?」

 米屋から発せられた言葉の意味が奈良坂には分からなかった。いや、言葉自体の意味は分かっているのだろうが、その真意というか経過が予想外だった。どうせテストで0点を取ってしこたま怒られたとか、ランク戦で負け続けたとかそんな内容かと思っていたのだ。

「陽介…もう少し考えてから発言しろ」

 確かに何があったのか聞き出したのだが、そう直球で返答するのもどうなのかと思う。米屋はそれでもいいのだろうが、相手である宇佐美の事も話している事になる。もしかしたら、そういう配慮も出来ないくらいの状態なのかもしれない。

「宇佐美とはいとこだろ」

「いとこだって結婚出来るんだし、セックスくらい普通だろ」

「普通かどうかは知らないが、俺は玲のことをそういう目で見たことはない」

「そりゃ、お前ら二人はそうだろうよ」

 奈良坂とそのいとこの那須は米屋達いとことは違って、ある程度距離を保った付き合いをしている様だった。同じ界境防衛機関(ボーダー)に所属しているけれど、だからといって必要以上に一緒に居るところを見たことは無い。だから界境防衛機関(ボーダー)内でも二人がいとこである事を知らない者も居るようだった。

 とはいえ、米屋だってついこの前までは自身のいとこである宇佐美とそういう事を出来るとは思っていなかった。したいと思う気持ちはあっても、実行に移すまでには躊躇いもあったのだ。結局実行したのだけれど。

「それで?上手く行かなかったのか」

「や、それなりにちゃんと出来たと思う。俺はすっげー良かったし、栞もそれなりに良さそうだったし」

「じゃあ何だその浮かない顔は」

「…ヤった後がさ、普通だったんだよ」

 初めてのことでかなり手探りではあったと思う。それでも悪くない反応だったと思うし、米屋自身の感想としては最高だったと言える。今まで感覚的に気持ちとか思考とかそういうものを色々共有してたし共感していた。それをもっと奥深く、中心的な部分でも感覚を共有出来て、一つになれた気がしたのだ。

 けど、もしかしたらそれは独りよがりな考えだったのかもしれない。

「別に何でもなかったみたいに、普通にその後学校の話とかすんのな」

 セックスのあと多少だるそうな風ではあったが、それ以前に行っていた勉強道具をまとめながら、次の試験の話などをし始めたのだ。そしていつもの様に帰り際に米屋への宿題を出して、さっきまでセックスしていたなど微塵も感じない、いつも通りの仕草と会話をして帰って行ったのだった。

「何か期待していた訳じゃないけど、栞にとっては日常の一部みたいで、何でもないって感じだったわけ」

 別に何か期待して始めた事では無かった。ただ純粋な興味で米屋が『お願い』したのだから。それをただ単純に受け入れてくれただけなのだろう。宇佐美に言わせればわがままを聞いてあげただけだ。

 けど、その行為によって今まで以上に深い部分で感情を共有出来た4様に感じていた米屋からしてみればその淡白さは違和感でしかなかった。同じ気持ちを抱いていたと思っていたのに、実はずれていたという事実。

「お前は宇佐美と、どうなりたいんだ」

「どうって」

 呆れたように奈良坂は質問を投げかけた。いや、ここまで付き合ってくれる

だけでもかなり仲間想いなのかもしれないが。

「相手からの反応がない事に落ち込んでいるんだろう。それは相手に何かを求めているって事だ」

「栞に求めていること…か」

 そう言われて改めて考えてみると、何かこれといった事が思い浮かぶわけでも無かった。何かを期待したり、してもらいたいと強く思う事など今までなくて、それはいままで当たり前に叶えてもらったり、自分で叶えたりしていたからなのだと思った。いつだって同じことを考えて、一緒に行動してきたのだから。だから今出せる答えは一つだけ。

「わかんねーや」

 なにを期待していたかなんて分からない。だけど違う事に落胆しているのだから、同じ思いを抱いていて欲しかったと言うのが宇佐美に求めていた事なのだろうと思う。

 でも自分自身この感情がなんなのか分からない事も事実だった。

 好きだからそういう行為をするのか、単純な興味や快楽をもとめただけのものなのか、はっきりとは分からない。宇佐美の事を好きかと聞かれれば、好きだとはっきり答えられるけれど、それが恋愛なのかと聞かれれば唸ってしまう。

 そういう一般的な感情とは違う事は認識しているけれど、それがなんなのかは説明出来ない。けれどもう一度…いや、一度だけでなく何回でも触れ合いたいと思うし、宇佐美の奥をもっと感じたいとも思う。理由など分からなくても。

「わかんねーけど、分かったわ」

「言っている意味が良く分からない」

 感覚的に発した言葉に、真面目に返事をするところが奈良坂らしいと米屋は思った。確かにその反応はもっともではある。

「栞とどうしたいとか、何を求めてるとかそういうのはまだ全然わかんないけど、今奈良坂に心配かけさせてるのは分かったわ」

「心配などしてない」

「照れるなよ」

「お前がバカみたいにヘラヘラしていないと調子が狂うだけだ…三輪が」

「秀次が、かよ」

 そういえば米屋の様子がおかしかったからお説教も一時終了となっていたのだった。もう一度お説教されるのは嫌ではあるが、心配させた事に違いは無い。あとでちゃんと謝っておこう。

「栞にも話そう」

 今のやりとりを話したらきっと笑って聞いてくれるだろう。それでこの後どうするか考えればいいのだ。いつだって流れるままに生きてきたのだから。

 犯したのは体では無く、多分もっと別のものだったのだ。