Regress for Regret - 1.決別の鳥

 

 宇佐美が界境防衛機関(ボーダー)に所属してから何年目の夏を迎えただろうか。

 そんな風に指を折り過ぎた年月を数えるその時分は十八歳の夏。高校三年の受験を控えたその季節は誰にでも平等に訪れていた。進路を決めなくてはいけない季節。

 界境防衛機関(ボーダー)所属の先輩達もこんな風に自分の先について悩んだのだろうか。あまりその様な姿を見たことは無かったが、きっと各々悩んだり、相談したりして進むべき道を決めてきたのだろう。界境防衛機関(ボーダー)と提携している学校はいくつかあるし、上の人々も有能な人員を失いたくはないのだろう、時折学業の調子やら進学やらの状況を伺うための面談も設けられている。その面談の場で提案された道に進む隊員も多いだろう。

 宇佐美も高校進学の時にはその定期面談で進学先を問われ、特に希望する学校も無かったので勧められた界境防衛機関(ボーダー)提携校に進学する事を決めたのだ。

 あの頃は風間隊を結成した頃で、(チーム)の順位がどんどん上がっていく嬉しさや楽しさにかまけていたために、自分の先を考える時間が無かった。その時間を全力で謳歌していたのだ。

 だから、実際界境防衛機関(ボーダー)での活動以外の事はあまりはっきりとは思い出すことが出来ない。

 もちろん、勉強などの他の事を蔑ろにしていた訳では決して無いはずなのだが、思い返してみるとどうしていたんだろう?と言った風に忘れてしまっている。

 だから進学先はどうする?と問われた時も進学する事に何も疑問を持たなかったし、特に決めていないと告げると今の学校を勧められた。ざっと見た感じ特に嫌な要素も無かったし、何より近い所にあるのは魅力的だった。宇佐美の学力を見て勧めたのだろう、進学校である事も親をすんなり納得させられる理由になるなと思った。

 そんな風に中学生の時はとりあえず進学して、界境防衛機関(ボーダー)での活動を続けられればいいやという感じだった。今思えば本当に深く受験に対して向き合っていなかったな、と思う。与えられた道をなんとなく選択して進んだ様な感じだ。

 受験勉強もある程度しかしなかった様な気がする。本当にその時は(チーム)での任務やランク戦が楽しかったから、それ以外の事に時間を割いていなかった。もともと勉強は得意だったし、授業もちゃんと受けていた。だから学力試験に不安は覚えなかったし、合格発表に一喜一憂した覚えもなかった。

 でも、思い返すと一つだけ受験というイベントに関して印象に残っていることがあった。

 それは米屋が合格の通知を宇佐美のもとへ持ってきた時だ。

 はじめは浮かない顔をしていたので、もしかして不合格だったのかと、声を掛ける言葉を探しながらその通知を開いたのだが、ちゃんとそこには合格という文字が刻まれていた。

 だからこそ、その表情が理解出来なくて理由を聞くと、本当に合格しているのか確認しに来たのだと告げられた。後で話を聞くと、本番で調子が出ず、ちゃんと解答したのかも覚えていないほどだったらしい。諦めていたのにもかかわらず、良い結果が返って来たことに半信半疑だったようだ。

 だから安心させるように、「ちゃんと合格しているよ」と告げると、やっと合格したという実感が湧いてきたのか、安心した顔を見せたのだった。ほっとして肩の荷が下りたかのように脱力した米屋に、「頑張ったね」って頭を撫でてあげた。このころはまだそこまで宇佐美との身長差が無かったから、屈んでもらわなくても簡単に頭を撫でることが出来た。

 そうしたら、ありがとうって小さく呟かれて、思いっきり抱きしめられたのだ。この頃の米屋は少し不安定で危なっかしさを持っていたから、どんな事でも受け入れようと思っていたし、だからこの時もしっかりと抱きしめ返したのだった。

 そんな思い出から、二年半。

 ついこの前のように思えた出来事も、実際はそれだけ前の話で。不安定だった米屋も高校に入った後次第に安定していった。何があったのかは特に言われなかったが、新しい出会いによって何か変わったのかもしれない。宇佐美も本部所属から玉狛所属に変わり、少しだけ生活サイクルも変わった。学校も界境防衛機関(ボーダー)での所属も変わって前と比べれば米屋と行動する時間は減っていたが、疎遠になる事は無かった。

 互いに毎日楽しく界境防衛機関(ボーダー)での活動を満喫していた。楽しい時間ほどすぐに過ぎ去るのだとよく表現される。時間というものは等しく流れているようで、実はその時々によって流れる速さが違うという事を本で読んで知った。だからこの数年の事は光が駆け抜けるかのように早く過ぎ去ってしまった様に感じた。

 後輩も出来て、本部からの仕事も任されるようになって、忙しい日々を満喫している。けれど、もう将来についてきちんと考えなくてはいけない日が迫ってきている。おおよそのボーダー隊員がそうするようにボーダーと提携している大学に進むのが良いのだろうか。それとも迅の様に大学には進まず、ボーダーを生活の中心に据えるか。

 もう界境防衛機関(ボーダー)での経験日数的にも、年齢的にも一人前とみなされてもおかしくないところに居るため、前の時の様にとりあえず勧められたところに進む、というのもどうなのだろうと思う。だからちゃんと考えなくてはと思うのだが、こうしたい、という強い意志も無かった。

 もちろん界境防衛機関(ボーダー)で活躍していきたいという思いは強くある。けれど、それをいつまでやるのかは分からなかった。ちゃんとした仕事として界境防衛機関(ボーダー)で活躍している人もたくさん知っている。だから、正式に仕事として界境防衛機関(ボーダー)で活躍するのならば、一般的な表現でいうと就職するという事になるのだろう。

 けれど、隊員達は基本的には大学に進んでいる。それはトリオンに限界が来た時に一般職に就くためなのだろうか。界境防衛機関(ボーダー)から離れた人から話を聞く機会など無い為にどうなのかは分からない。先の事など分からないから、保険をかける意味での進学はあるのだろう。それを選ぶか、今ここで界境防衛機関(ボーダー)に骨を埋める決意をするか。

 時間は止まってはくれないから、いつかはっきりと決断しなくてはいけないことは確かだった。

 

          * * *

 

 卒業後の進路をはっきりと決められないまま、新学期が始まった。とはいえまだまだ夏と言っていいほど気温は高く暑苦しい日々が続いている。界境防衛機関(ボーダー)本部は年中快適な温度設定になっている為にここに居る間は季節を忘れそうだと宇佐美は思った。

 そんな快適な界境防衛機関(ボーダー)本部に頼まれていた資料を届けた帰り、いつも通るラウンジで米屋は当たり前の様にそこに座っていた。

「栞、お疲れ様」

「陽介」

 最近宇佐美が本部での仕事がある際は決まってこうやって終わるのを待っていてくれた。前まではタイミングが合えばという感じだったのだか、最近は夜になって帰る事も多くなっているからか、こうして毎回宇佐美の用事が終わるのを待っていて、送ってくれるのだ。しかも、時々ではあるが、学校から直接本部に行く時にも迎えに来てくれている。

 何かきっかけがあったかというと、無かった様に思う。実際に理由を聞いてみても、暇だからとか、どうせ本部に行くからとかそんな理由しか返ってこない。別段不都合があるわけでもないし、気後れするという事でもないので、断る事も無く送り迎えされている。

「今日もランク戦?」

「おうよ。でも今日はあんま攻撃手(アタッカー)居なくてな~弾バカと試合したけど、やっぱり距離感違うから勝ち筋掴むの難しいわ」

「まー出水君はトリオン量も半端ないしね」

「それな~結構生身の体も鍛えてるんだけど、生まれ持ったトリオン器官の差は埋まんねーな」

 トリオン器官は鍛えればある程度強化する事ができる事は証明されているが、それもある程度の事であり、もともと持ち得るものの違いは埋まるものでもなく、だからこそより良い武器の開発だとか、訓練をするのだ。米屋は自分が何一つ特別だとは思っていない。だからこそ実戦を積むだけ成長しているのが分かるのだ。そういう点では恵まれていたと思う。

 三輪隊は多分そういう自分が特別な能力がある訳では無いと理解している(チーム)であり、だからやりやすかったし、理解しているからこそそこを皆で補ってA級に上がれたのだと思う。だから居心地が良い。

 もちろんトリオン量の多い奴や副作用(サイドエフェクト)持ちの事をどうこう思っている訳では無く、むしろそういう人とは違うもの、ハンデと言ってもいい物を持っていて活かせるのは凄いなと思うし、戦っていて楽しい。だから単純に強い奴と戦うのは好きだった。

「栞は今日も本部の仕事の手伝い?」

「そんな感じ。今日はまとめた資料を渡すだけだったけど」

「ふーん。なんだかんだ最近そういう仕事も多いみたいだし、無理はすんなよ」

「心配してくれてありがとう。でも自分から言い出した事だし、大丈夫」

 トリオン兵の解析や、武器(トリガー)の改良など興味があって進んでやらせてくれと言った事だ。確かに技術者寄りの事であり、オペレーターとして界境防衛機関(ボーダー)に所属しているのだから過ぎた領分なのかもしれない。それでも人の役に立つ事はやっていて楽しかった。

「そうやって抱え込んで、突然倒れないか心配だわ」

「えー、大丈夫だって」

「とか言ってよく徹夜して寝不足だったりするじゃん?」

「ははは…」

 確かに急ぎの案件の時は寝る間も惜しんで作業し、その後心配した米屋にお世話になったことも実は何回もある。そういう自分でも分かっていない体調の機微に気が付いてくれるのはありがたかったし、だからこそ安心して全部任せられるのだ。

「そうだね、ずっと今のままって訳にもいかないし、本気で進路について考えないとだよね~」

「進路?」

「そ、高校卒業後の事。陽介はどうするか決めた?」

 米屋は問われて初めてその事を考え至った様だった。要するに何も考えてもないし、決めてもいないのだろう。高校ならば二年次くらいからそういう進路の話が出ているはずなのだが、そういう決め事などものらりくらりとかわして来たのだろう。

「んー?とりあえず大学じゃね?」

 そんな予想通り、特に何も考えてませんという様な返答だった。

「とりあえずって、それ全然決めて無いでしょ」

「だってなー実感無いし。けど、太刀川さんも大学行けてるし、俺もなんとかなるっしょ」

「高校受験の時あれだけ自信なさそうにしてたのに?」

「や、あれは当日調子悪かっただけで」

 過去の事を持ち出されて、旗色が悪いと察したのか、歯切れが悪い。前の受験の時もなんとかなると言ってあまりちゃんと考えたり勉強したりしてなかったのだ。その結果当日に思っていたように試験を受けられずといった事態に陥ったのだ。とはいえ一応ちゃんと合格してしまった事で、なんとなくで受かるという間違った感覚を掴んでしまったのも事実である。

「最近も結構補習通ってるのに?」

「う…それはごもっともですが」

 防衛任務の為に出席日数が足りない場合には補習授業を受ける場合がある。米屋の場合にはそれの他にも得点不足のための補習にも出席していた。補習授業自体の回数は少ないが、課題がたくさん出るのだとぼやいていたからそうなのだろう。

「勉強が嫌だったら、大学行かないで界境防衛機関(ボーダー)一筋でいけばいいじゃん」

「栞がそんな風に言うのは意外だったな」

「なんで?」

 別段おかしい考えでは無いと思う。界境防衛機関(ボーダー)という組織が認識されていなかった四年半前までならばそうはいかないとは思うが、今は市民に周知されているし、だからそれを進路先にするのにもなんらおかしい事ではない。

 迅なんかは多分そういう感じなのだろう。学校へ行くよりも界境防衛機関(ボーダー)で活躍する事を選んだのだ。その選定に彼の副作用(サイドエフェクト)が関係するのかは置いておくとしても。

「将来の事考えて~とか言いそうだって事」

「そうかな~?」

「だってさ、年を取ればトリオン器官も衰えて多分前線では戦えなくなる。東さんみたいに指導者としての技能とかがあれば別だけど、俺は教えるのとか得意じゃないし、そうしたら後は界境防衛機関(ボーダー)で活躍できるところなさそうだし。と思うととりあえず大学くらいは出てた方がいいのかなと」

 米屋が語る内容に宇佐美は、ほーっと感心して呆けた声を出してしまった。全然何も考えて無いのだろうと思っていた事が覆された。本当に何も考えて無いという訳ではないのだ。周りの人々を見て、自分だったらと置き換えて手探りだけど、ちゃんと考えている。

「陽介さ、ちゃんと先の事考えてるじゃん」

 そうやってちょっと褒めると、そんなことねーよとすぐさま否定で返される。

「ぼんやりとだけだって。今が楽しければ良い派だからさ、今めちゃくちゃ楽しいし、流れるままに生きてればいいとは思うけど。でも、ある程度は想像してるさ」

「そっか…」

 意外と自分の方が立ち止まっているのかと思って、暗い声がこぼれてしまう。それに、米屋の事はおおよそ分かっていると思っていたのだが、そうでもなかった事に少し落胆を覚える。最近は一緒に居ることがまた増えてきていたはずなのに、そういう先の話とか深い部分には触れて無かったのだと実感する。

「なに、栞はどうするか迷ってんの?」

「まーね」

「普通に大学進学だと思ってたけど」

「もちろんそれも考えてるけどね、まだ決定ではないかな」

 学業と界境防衛機関(ボーダー)での活動を両立させていくのか、界境防衛機関(ボーダー)での活動の為に勉強するのか、仕事としての活動を本格的に行うのか。考えれば考えるほど悩んでしまう。多分誰に相談しても、良いアドバイスはくれても、結局宇佐美の出した結論に賛成してくれて、その為に調整してくれたり応援してくれたりするのだと思う。だから、やっぱりちゃんと自分で決めなくてはいけないのだと。

「栞もてっきり大学だと思ってたからレポートとか手伝ってもらおうと思ってたのにな~」

「今からそんな事言って、それこそ行く意味無くない?」

「卒業したって事に意味があるんだって。結局のところ外側のパッケージだけで判断されんだよな」

「まあ、確かにそういうものか」

「そうそう、そういうもん」

 重く考える宇佐美とは違い、米屋は軽い感じで未来を語る。そしてその未来には今までと同じようにはっきりと米屋の隣に宇佐美が存在していた。それが当たり前だと、素直に語れるのが羨ましかったし、嬉しかった。

 結局今の今までずっと近くで一緒に過ごしてきたから、その感覚から抜け出せないのだ。それは二人ともにいえる事で、刷り込みの様なものなのだ。

「だからって今から私をあてにしないでよね」

 頼られる事は好きだが、面倒事は嫌だよと先に釘だけは刺しておいた。

          * * *

 

 次の日、強い日差しの中汗を掻きながら通いなれた高校へ向かう道を進んでいると、指定の制服とは別の制服を着た女子生徒数人が道の端で(たむろ)しているのが見えた。あれは近くにある米屋達の通っている高校の制服だ。朝に見かけるのは珍しいなと、思いつつ通り過ぎようとする。

「おい」

 その女子生徒集団の中心に居た人物が声を発した。誰かに声を掛けたのだろう。とはいえそんな感じでは誰も立ち止まらないのではないかと心の中でお節介を妬く。

「おい、お前だよ、宇佐美栞」

 もう一度その女子生徒が不機嫌そうな声を発して呼び止めたのは、関係ないと思っていた自分に対してだった。フルネームで呼ばれたのだから間違いようがない。立ち止まって改まってその集団を見るが、ひとりも見たことが無かった。なぜこんな朝から呼び止められたのか、一つも分からなかった。

「人違いだと思うんだけどな~」

 名前を呼ばれたからその可能性は低いが、まず間違えて名前を知ってしまったとかそういう事かもしれないし、と宇佐美にしては結構適当な結論を付けた。

「間違えてねーよ、昨日も見たしな」

「昨日…?」

 昨日この顔を拝見しただろうか。昨日は本部に顔出したくらいで他との接触は無かったはずだ。だから、彼女が一方的に認識していた事になるだろう。

「アンタさ、界境防衛機関(ボーダー)だかいとこだか知らないけど、米屋のこと振り回すなよ」

「???はぁ」

 突然米屋の名前が出てきてさらに混乱する。という事は昨日見たというのは、界境防衛機関(ボーダー)本部から一緒に帰るところを目撃されていたという事になるのだろう。振り回すなという事は、ああいう送り迎えで手を煩わすなって事なのだろうか。もしかして彼女らと遊ぶ用事でも実はあったのだろうか。

 なんだか良く分からないが、米屋が人気者でモテているという事は分かった。いやまあ、それも宇佐美の勝手な解釈なのだけれど。

「アイツ最近付き合い悪いし、放課後すぐ帰る事も多いしで周りに聞いたらアンタが理由だって言うじゃん。アイツは自由で誰のモノでも無いところが良いんだから、独り占めすんな」

「そんなつもりは無かったんだけど…そっか、そうだよね」

「余裕ぶったツラは気に食わないけど、こっちも大事(おおごと)にしたい訳じゃない。今後は良く考えて行動しろよ」

 そう言ったまま、彼女らは連れだってその場を離れていった。

 なんというか威圧的というか命令的な口調ではあったが、好戦的でなかっただけ良かったのかもしれない。ちょっと面倒なのに絡まれたな、とは思っていたが、なんというか現状がちょっとだけ垣間見れてそれはそれで良かった気がする。今まで思い返してみればこういう事は無かったが、そういう可能性もあったんだな、と今起こった事を思い返しながら、遅刻しない様に早足で教室に向かうのだった。

          * * *

 

「とか言うことがあってね?なんだかんだ陽介もモテるのかと思ったら嬉しくなっちゃった」

 お昼休みになると、別のクラスである奈良坂のもとへ宇佐美は真っ直ぐに向かった。予想通り自クラスの自分の席で次の授業の予習を行なっていた。絵にかいたような真面目さだ。

 何しに来た、だとか勝手に人の席に座るなだとか文句を並べたてたが、気にせずに奈良坂の前の誰も座っていない席をお借りした。そうして今朝あった内容を勝手に話し出したのだが、めんどくさそうにしつつもちゃんと聞いてくれるのが良い所だなと、話し終わって思う。

「お前はわざわざそれを話す事だけのために別のクラスに足を運んだ訳か」

「だって普段の陽介の様子を知ってる人って言ったら、奈良坂君しか今居なくない?」

 同学年の男性界境防衛機関(ボーダー)隊員は普通校に多い。奈良坂は珍しく進学校組だった。しかも同じ(チーム)なのだから、ここでの話し相手としては間違っていないはずだ。

「いや、誰にとかでなくそういう事の報告をわざわざするのかって話だ」

「え?なんで?陽介は私の半身みたいなもんだし、自分の事のように嬉しいよ?嬉しいことって誰かに報告したくならない?」

 そう、宇佐美としては彼女らから敵意を向けられた事など露ほど気にせず、米屋が普通に界境防衛機関(ボーダー)の面々意外ともちゃんと仲よくしていて、重要視されている事実の方が印象深かったし、嬉しかった。

「別に俺は報告したくならないし、宇佐美と陽介との惚気を聞く義務もない」

「惚気?」

 奈良坂の言葉が宇佐美には理解出来なかった。なんで今の話が惚気に繋がるのだろうか?

「惚気だろう、それは。自分の彼氏がモテるっていう自慢を含む惚気だ」

「彼氏って誰の事?」

 また、理解できないことを言われる。自分の彼氏?

「何を言っている、陽介だろう」

「誰の?」

「お前の」

 言われた内容を整理すると、奈良坂は宇佐美と米屋が付き合っていると言っているようだった。

 二人が付き合っていて、その惚気話を聞かされてうんざりだという顔だという事だろう。今までの面倒くさそうな、呆れたような顔の理由が繋がった。

 とはいえ、何故その勘違いをしているのだろうか?一度もそんな報告していないし、聞かれても付き合ってないと答えてまわっているはずなのだが。

「え~!陽介とはカレカノじゃないよ。界境防衛機関(ボーダー)でも噂されるから毎回違うって言って回ってるのに、まさか奈良坂君が知らなかったなんて」

「お前達いつも二人で行動してるだろ。それに中学の時、陽介が話してたし」

「陽介が?話してたって何を?」

「内容はあまりちゃんと覚えていないが、宇佐美とその、…ったって言っていたからてっきりそうだと思っていた」

 場所をわきまえて言葉を濁しているが、多分セックスしてるって話だと思う。確かにしてますけれども。

「いや、まあそれは事実だけど、それと付き合ってるかは別じゃない?」

「一般的な恋愛観からしたら普通だとは思うがな」

「恋愛観とか奈良坂君の口から聞くとは思わなかった」

 奈良坂には本当に浮ついた話を一つも聞かない。学校でも界境防衛機関(ボーダー)でもストイックになんでもこなしていく姿しか見たことが無い。もちろん人付き合いが下手とかそういう事があるわけでも無い。ちゃんと可愛い弟子も居るし、クラスで浮いているわけでも無い。誰かに恨まれることも妬まれることも無く、だからと言って特別好かれることもない。逆にそういうポジションに居続ける事がすごいとは思う。

 けど、まあそんな感じだから、恋愛とかまったくもって興味が無いのだと勝手に思っていたのだが、それは偏見だったようだ。彼はちゃんと外側からではあるが、見ているのだ。

 そうなると米屋と付き合っているのだと勘違いされていた事が何故かとても恥ずかしく感じてくる。そういう目で見られていたのだと思うと、やましい事など無いのに恥ずかしい。

「からかうだけならさっさと自分のクラスに戻れ」

「はーい」

 勝手に分が悪くなった為に、素直に奈良坂の言葉に従って自分のクラスに帰る事にした。勝手に借りていた椅子を元通りきっちりと戻してその場を立ち去ろうとした時、すでに手元の教科書に目線を戻していたはずの奈良坂の視線がしっかりと宇佐美に突き刺さった。

 彼の素直な視線は時々痛いと思う。

「あと、お前は自分が注目されやすい人間だと自覚した方が良い」

 それだけ言って、奈良坂は目線を戻した。

 

          * * *

 

「ねえ陽介、私たちって別に付き合ってないよね?」

「そーだな。んで、急にどうしたのさそんな話して」

 米屋の家の、米屋の部屋の、米屋のベッドの中からそう米屋に問いかけた。要するに今の今までセックスしていたのだ。この場所で。

 そしてその相手である米屋はベッドから離れ、部屋着に着替えている最中だった。ラフなTシャツと短パンといった格好で、まだ暑さの残る季節としては妥当であるが、クーラーをつけた室内ではいささか寒そうである。かく言う宇佐美も布団を肩までかけているから何ともないが、風邪を引く前に着替えなくてはとぼんやり思った。

「奈良坂君がさ、私たちが付き合っているもんだと思ってたらしくて」

「へー」

「なんでも、二・三年前に陽介から私とセックスしたって話を聞いたかららしくて、陽介話したの?」

「う~ん、したような気もするな~」

「別に話したのはそれでいいんだけど、まさかそれで付き合ってるってずっと思われてたとは思わなくてさ~」

 今さっきまでセックスしていた男女の会話とも思えないが、二人にとっては別におかしなことではなかった。セックスなんてものは付き合っていなくても、好き合ってなくても行えるものだし、だからと言って好きじゃないわけでは無いのだが。

界境防衛機関(ボーダー)では結構否定して回ってたと思ったんだけどな~。そうしたら三輪君とか章平君とかもそう思ってるのかな」

「秀次はそういうの興味なさそうだし知らないだろ。章平も知ってたらあんな純粋では居られないだろうな。そう思うと俺悪い事してる?」

「んにゃ~それはそれ、って事じゃない?」

「ま、そっか」

 米屋は同じ(チーム)の後輩である古寺がいとこの宇佐美に好意を抱いている事を知っている。真面目だし頭いいしメガネだし、宇佐美にとって悪い相手じゃないと思うし、付き合う事になったら応援するつもりでいるのだが、彼の奥手な性格からなのか特に進展があるわけでもない。

 だから米屋としても宇佐美との関係を変える事も無く過ごしている。宇佐美もそれでいいのだと言うのだからまあ、いいのだろう。

「んで何で奈良坂とそういう話になったんだっけ」

「あ~そうそう、この前の朝登校中に女子グループにさ、陽介独り占めすんな!みたいな牽制?をされてちょっと嬉しかったんだよね~って報告をしてさ」

「んん?ちょっと待った、話がよくみえねーよ。順を追って説明してみ」

 宇佐美から発せられる言葉の意味が分からず混乱する。確かに米屋は頭良くは無いが、それにしても突拍子もない事ばかり連ねるものだから、整理しきれないのだ。

 しかも何でもない様に宇佐美は話すが、かなり面倒な事に巻き込まれている様な気がする。しかもそれを楽しんでいるのかもしれない。いや、楽しんでるだろう。じゃなければこんなこと全然関係ない奈良坂に話す訳ない。

「まず、陽介の学校の女子数人に待ち伏せされて」

 別の学校にわざわざ朝から突撃しそうなメンバーを頭の中でリストアップし、そんな行動に至りそうな人物に目星をつける。要するにそういう行動を起こしそうな奴らが知り合いの中には居るという事で、そこまでの話は納得する。

「なんか前日一緒に帰ってたとこ見られてたらしくて、そんなの今更感はあるけど、手間かけさせるな~みたいなそんなニュアンスの事言われて」

「えー、好きでやってる事なんだけど」

 送り迎えは米屋が好きで勝手にやっている事で、宇佐美に強要された訳でも、お願いされた訳でも無い。でも確かに、最近放課後に遊びに誘われても用事があるからと理由をつけて断る事が多くなっていた。その内容までははっきり伝える事は無かったが、多分目撃されていて、そういった発言に繋がっているのだろう。

 付き合い程度に遊んでいただけだし、相手もその辺分かっていると思っていたがそうでもなかったらしい。ちょっと面倒なことになってるなと、米屋は思った。

「そういう事思われてるんだ~と思ったら嬉しくなっちゃって、奈良坂君に報告したわけ」

 今までの話の内容はなんとなく理解できたが、今回の発言はちょっと意味が分からない。

「いや、まずそこで奈良坂に報告するのが分かんねーから」

 突然今まで関係なかった(チーム)メンバーの名前が出てきて素で突っ込む。

「それ奈良坂君にも言われたんだけどさ、すぐ誰かに言いたくなっちゃったんだよね。だからしょうがなくない?同じ(チーム)のメンバーなんだしさ」

 同じ(チーム)のメンバーだからと言って、そこまで事細かに報告するという事の方が(まれ)なはずだ。それに、年の近いメンバーの(チーム)ではあるが、そこまで私的な事を共有してもいない。単純に仲が良いだけなら出水の方が仲が良いし、隊長である三輪は特に人の事に対して我関せずなところあるから、やっぱり自分の(チーム)にはそういう話題は相応しくないな、と米屋は思った。

 まあ、過ぎたことは仕方がない。まだ三輪隊の中でも比較的口の堅そうで特に気にしなさそうな奈良坂だった事は救いだったかもしれない。何を思っているかは知らないが、人に話したりからかったりとかはしないだろう。

「やっぱ良く分かんねーけど。それはいいや、置いておくとして、嬉しくなってってのは何、どういう事?」

「それも突っ込まれた気がする。んとね、私と陽介は比翼の鳥的な感じじゃん?」

「比翼の鳥ってなに?」

 発せられた知らない言葉に疑問符を付ける。そんな学校で習ってない言い回しをされても分からないし、かといって仮に習っている内容だとしても多分忘れているから意味ない。

「簡単に言うとニコイチ的な感じ。なんていうか私は陽介のこと半身みたいな存在として認識してるわけよ。だからこう、人気者なんだな~と思って自分の事の様に嬉しくなったわけ」

 要するに宇佐美と米屋は二人で一つ的な存在だと感じていて、感情とかそういうものも二人で共有しているって感じなのかもしれない。自分に対して発せられた言葉とか感情とかではないけど、自分の事の様に思えて、それが嬉しい内容だったと。

 でも、と米屋は疑問を言葉にする。

「栞そういうの嬉しいタイプだっけ」

「んや、自分にだったらどうでもいいけど、陽介ってさバカみたいに界境防衛機関(ボーダー)で戦闘ばっかりしてるからそれ以外の人間ともちゃんと交流あるんだなって思って」

「確かに基本ヒマだったら模擬戦してるけど、誘われたら普通に遊ぶし。界境防衛機関(ボーダー)だからって遠巻きにされるのは嫌だからな」

「女子に人気あるとは思わなかった」

 宇佐美は意外そうに、でも嬉しそうにそう言う。そりゃまあ、槍バカと言われるくらい戦闘バカだし、実際頭もよくない。けど、実際は誰でもすぐに仲良くなれる気さくさが米屋を人気足らしめた。界境防衛機関(ボーダー)隊員というと、どこか別の次元の人間であると線引きされる事もある。逆に自分から一線引いている隊員もいる。自分の(チーム)の隊長の様に。

「だって秀次とか弾バカとかあんまそういうの慣れてないからって俺に押し付けてくるし、そしたら窓口的なポジになったりで仲良くなって遊びとか誘われるようになった的な?」

「そういうの全然知らなかった」

「まー言ってなかったからな」

「なんで?」

「別にわざわざ話す内容でもなくね?それにその頃は栞も忙しそうだったし」

「そうだっけ?」

「たぶん?」

 宇佐美はいつでも何か仕事を抱えていて、忙しそうにしている。逆に言えばそれが通常であるからその合間を縫って世間話をする暇くらいはある。けど、特にそういった話はしてなかった。必要だと感じて無かったからだと思う。あまり意識していなかった事だから米屋としても曖昧な答えしか返せなかった。

「でも、最近は結構私に付き合ってくれてるよね、なんで?」

「最近は特に色々仕事抱え込んでるじゃん?そういう時の栞って結構危なっかしいし、かといって俺が何か手伝えるわけじゃないからさ」

 いつも何か仕事している宇佐美が、ここ最近は特に今までに増して忙しくしている。はっきりとその内容を聞いたわけでは無いが、顔色とかテンションとかそういうのでなんとなく分かるのだ。これが共感覚なのかもしれない。自分の半身みたいな存在だから、無理して欲しくないし何か手伝いたいと思うのだ。

 それに、いつだって宇佐美は米屋にとって正義で、道標(みちしるべ)なのだ。

「今まで結構栞に頼ったり守ってもらったりしてたからさ、その分返す的な?」

「えー、私陽介に何かしてあげてたっけ?」

「まーな。どれとは言わないけど」

 幼いころから、何回も助けられている。それは宇佐美が意識して行った事じゃないのだと思うけど、だからこそ毎回救われていたのだ。どんな時でも許して手を引いてくれた事が嬉しかったから、ずっとそうでいて欲しい為に出来る範囲で守りたいと思うのだ。

「そっか、そーだったか。でも、そんな風に気にしてくれなくても大丈夫だよ?むちゃくちゃ無理したりとかしないしさ」

「信用ならねーんだけど。平気で夜中とか出歩くし、俺意外に誰か見張ってくれる奴が居れば別だけど」

「見張るって」

 その言い方がおかしかったのか、クスクスと宇佐美は笑ってしまった。まるで深夜徘徊する老人に対して言っているみたいだ。

「正直なところどうなのよ?前は彼氏とか居た時もあったじゃん」

「まーね。けど、基本的に私界境防衛機関(ボーダー)中心の生活だからどうも一般人とは上手くいかないんだよね。かといって内部の人には色々ばれててそういう話にはならないし」

「や、本部にも玉狛にもこわーい保護者が居るからだろそれは」

 確かに宇佐美は凄く個性的で目立っている。だけど、それでも惹かれずにはいられない魅力の様なものを持っていて、そういう意味でいえば米屋なんかよりももっと人気者だと思う。今は本部に居ない為に、時々しか出会えないというのも興味をそそる一つの要因であるし、今までの経歴とか功績とかもその要因の一つだ。それでいて誰にでも気さくで。

 だからこそ特に親しいメンバーは変な虫が付かない様に見張っているのだろう。お人好しですぐに誰彼かまわず手を差し伸べてしまうから、要らぬ事に巻き込まれない様に注意を払って阻止しているのだ。

 とはいえ、それを本人は自覚していないので、ばらすことはしない。うっかり口を滑らそうものなら、米屋が突かれかねない。

「ま、彼氏でも居れば俺もお節介妬いたりしないんだけど、そういう訳にもいかないからな」

「そういう陽介はどうなの最近。前は結構色々遊んでなかったっけ?」

「それ今ぶり返す?」

 高校上がってA級に昇格したくらいから余裕も出てきて、しかも知名度も上がったので色々遊びに誘われたり、その流れで誰かと付き合ったりなどを繰り返していた。でも基本的には遊びの延長で、楽しければそれでいいというスタンスだったので、長続きはしなかった。

「だって面白かったし。男女半々くらいだったよね」

「色々経験したいお年頃だったという事にしといてください」

「けど、あんまり続かなかったよね、どれも」

「だってなーほとんど遊びだったし。…まあ、遊びじゃないのもあったけど、色々見透かされまして。愛想着かされました」

「おお…それは残念でした」

 結構本気で一緒に居たいと思える相手が半年前くらいには居た。一緒に居て楽しかったか…と言われるとそんな事も無かったわけだけれども、世話してお節介妬いて一緒に居て、そういう事してあげたいと思える人だった。

 けど、その感情は偽物だと告げられたのだ。空いた穴を埋めるための偽物の感情で。互いにその穴を埋め合っているだけで、そんなのダメなのだと。お前は俺と違ってその穴をちゃんと正しく埋められる人間がいるじゃないかと、その時の相手――三輪秀次に告げられた。

 三輪との関係は決して遊びじゃなかったと米屋は今でも思っている。でも、彼に見透かされたみたいに、多分自分でも気が付いていたのだ。その穴を埋められる人物を。それは穴なんかじゃなくて、パズルのピースの様な隣とつながるための窪みなだけなのだから。

 だから、そこにぴったりとはまる人物以外は結局遊びになってしまうのだ。比較して、違うからじゃあ次、という風に。なんとか合わせようとした時もあったけれど、結局合わないものは崩れ落ちてしまう。

「やー、もう栞のせいだからそれ」

「私の?」

「だってさ、どうしても比べちゃうじゃん。栞とはずっと一緒だったし、ニコイチ的なそういうところあるって栞もさっき言ってたし。どうして分かってくれないのかな~っていう積み重ねで上手くいかねーんだよな」

「おやおや、それはかたじけない」

 ぼりぼりと頭をかきながらちょっと申し訳なさそうに、あははと宇佐美は笑った。そしてうーんと何か考えるように唸る。

「そっか、そうなんだ。そうすると私の思っている事に反する事になるんだよね~」

「なになに、何の話?」

「なんかね、ここ最近特にそうだけど、私が陽介を縛り過ぎかなって思ってて」

 縛ると言うのとはちょっと違うのかもしれない。でも、米屋の時間の多くを割いてもらっているのは事実だった。それがたとえ米屋が望んで行っている行為だとしても、宇佐美からしたら行動を制限させていると捉えられるのだ。

「陽介にはもっと自由に生きていて欲しいんだよね。これは私の勝手な願いだけど」

 初めて伝えたかもしれない。けれど、これはずっと思っていた事だった。

「陽介の良いところはさ、形に捕らわれず自由に行動できるところだと思うのね。戦闘以外にも恋愛とかもそうだし。だからそれを制限する事になるのは嫌なの」

 今までいつでもどこでも、どんな事でも米屋は宇佐美に刃向かう事も抗う事も無く、当然の様に着いてきてくれたし、受け入れてくれた。それは凄く嬉しい事だった。けど、その所為で出会いとか経験とか色んなものを掴みとれていないと言うのは嫌だった。

「だからさ、今のこの何とも言い表しにくい関係を終わりにしない?」

 優しくそう告げた宇佐美の声は、たいして広くもない米屋の自室に響いて消えた。

「あー」

 言われた内容を咀嚼して、その意図を計りながらどうしたもんかと、とりあえず米屋は立ったままだった腰を自身のベッドの上に落ち着かせた。

「それさ、今言うわけ?」

 米屋はすでに着替えを終えていたが、宇佐美はまだ布団の中でちゃんと服を着ずにまったりした状態である。セックスした直後にそういう話をするのも何とも言えないが、それは仕方ないとしても、着替えてから言えばいいのにと思った。なんというか説得力が無い。

「とりあえず言いたいことは分かったから、そういうこと言うならまず着替えろよ」

 ほい、とベッドの端にまとめられていた宇佐美の服を渡す。

「いや~確かにそうだね。つい」

「ついって…そんなんで止められんの?」

 渡された服をもぞもぞと着替えながら、宇佐美は少し思案してしまう。確かに今の状況からしてみればそんなのただの戯言の様だ。口先だけで実態が伴っていないかの様ではある。

「まー、だって染みついた習慣みたいなもんだからね。でもさ、互いにこのままずるずるするのも良くないと思うわけよ」

「まーな」

「で、陽介は合意してくれるの?」

「栞がそうすべきだっていうならそれでいいけど、止めるってどこまで?セックスは止めるとしても、さっきの話からしたら俺が栞にかまうのも無しって事に聞こえるけど」

 米屋の疑問に対して、そういえばどこまで線引きするのかちゃんと考えて無かったと思い至った。今のままのずるずるとした関係を止めるという意志はあったが、どこまでと言われれば普通の、一般的なところを目指すべきだろう。

「そうだね、普通に友達くらいの感覚に戻そう。だから送り迎えとかも無しにしよう」

「ま、そーだよな。だとするとちょっと条件つけるわ」

「条件?」

 以外にもそんな提案をされて、首を傾げてしまう。そりゃ確かに一方的に止めようと言ってまるっと受け入れて貰えるとは…少し考えていたけれど、そうは問屋が卸さないだろう。

「そ、条件。夜一人で出歩かない事と、あんまりホイホイ人を信用しない事」

「え~私そんなに信用ない?」

 条件の内容が意外だった事と、思いの他心配されていて驚いた。

「最近色々警戒心薄すぎ。それがちゃんと証明出来ないんだったら、あんま目の届かないところに行かないこと」

「なんか陽介おとうさんみたい」

「それはねーっしょ。でもまあ、心配なのは本当。栞にはちゃんと幸せになって欲しいし」

「なんで?」

 米屋はこんなこと言う様なタイプだっただろうか。さっきからあまりにも想像していた流れとは違っていて、再び首を傾げる事となる。でも、もしかしたら宇佐美が変化を望むように、米屋も今までのままでは無いのかもしれない。

「栞が言ったんじゃん、自分の事みたいだって。俺もそう。栞が幸せだと俺も幸せだってこと」

「そっか、確かにそうかも。私も陽介には幸せになって欲しいし、多分それが私の幸せなんだと思う」

 本当に根本的な所は同じなんだと思った。細部までの思考までは決して同じとは言えないし、何を考えているのか分からないけれど、中心になるところは一緒なのだと。それが実際嬉しいし、やっぱり大切な片割れなのだと感じる。

「決めた」

「なにを?」

「進学先。ちゃんと大学に行くことにする」

 先日まで迷っていた事。自分の先とか身の振り方とか色々悩んでいたけれど、結局自分ひとりの意思だけでは決められなかった。だから今、目の前の大切ないとこの事を、彼と自分の未来を思い描いた時、ぴたりとイメージがはまったのだ。自分は自身の為に動くより、誰かの為に動く事の方が性に合っているのだと宇佐美は実感した。いや、誰かじゃなくて米屋だからなのかもしれない。

「そのこころは?」

「互いにとってひとまず離れた方がいいかなって思ったけど、すぐには無理そうだし。だから完全に別々に生きていくんじゃなくて、ちょっと近い所で時々会うくらいにしよう」

 互いが互いの幸せを願っている。そしてそれをちゃんと確認したいのだ。だからそれを確認するまでは離れられないと思う。距離を置こうと言った矢先に矛盾しているかもしれないが、結局大切だから完全に離れる事など出来ないのだ。

「結局無難にみんなが行ってるとこに行くことになるけど、あそこ学部も多いしレベルも様々だから良いと思うんだ」

「それ、要するに俺も大学行けって事でしょ」

「もともと適当に大学行く~みたいな事言ってたじゃん」

「まーそうだけどさ」

 受験勉強しなきゃだなーとぼやく米屋を抱きしめて、頭を撫でて大丈夫だよと言ってやりたい気分に宇佐美はなったが、ぐっと我慢した。いつもだったらそうやって甘やかしてしまうけれど、自分から言った事をすぐさま覆す訳にはいかなかった。

 今まで当たり前みたいに接してきた距離を、少しずつ遠ざけようと言ったのだから。いつまでも子供のままでは居られない。大人になって、いつか今の時を笑って話せるようにならなくては。

 二人だけの世界から抜け出して、外に目を向ける時が来たのだ。

「大学はさ、いろんな人が居ると思う。その中で、見つけてみようと思う。自分の進む道を」

「いーんじゃね」

「陽介もちゃんと見つけるんだよ」

「りょーかい」

 これは決別などではなく、新たな門出だと思えば体が軽くなった気がした。