愛してると言われたら

「愛してる」

「えなんて


唐突に声を掛けられて、上手く聞き取れなくて鳩原は普通に、いつも通り聞き返した。

そう、いつも声を掛ける前に本題を話し出すので、彼の言葉を上手く理解する事が出来ないという事はしばしばあった。

だから前にちゃんと名前を呼んでから話しかけて欲しいとお願いしたのだが、聞き入れてはもらえなかった。

面倒とかなんとか言い訳を付けられて却下されたのだ。

確かに彼は気分で話しかける事が多いので、言いたいことは分からなくもない。

大半がしょうがないなと言った風に言い直してくれる。

ちょっと馬鹿にされている気がするのと、ごくまれに怒られるからそれだけは嫌だったけど。

今日もまたちょっと馬鹿にしたような面倒くさそうといった表情で、それでもちゃんと今度は聞き取れる様にゆっくり言い直してくれた。


「あ・い・し・て・る」


ひとことひとこと、区切ってゆっくりとその言葉を紡ぐ。

こんな風にいう時は面白がってからかっているのかもしれない。

そういえば今は馬鹿にしたようなからかい顔だけれど、話しかけてきた時はにこにこしていた様にも思える。

いや、にこにこというよりはにやにやしていると言った方が正しいかもしれないけど。

とはいえ何も返さない訳にもいかないので返答を用意しようと思うが、言い直したそれ以外の言葉を彼が続けて紡ぐことが無かったのでどうしたらいいか困ってしまった。

だって、鳩原にはその言葉の意味することが全く持って分からなかったから。

なんども頭の中で投げかけられた通り、ゆっくり復唱してみるがやっぱり分からず、うーんと唸る様に無意識に首を傾けてしまう。


「…………

「なにその顔、意味わかってないの


どんな返しをしてくるのか面白がって待っていた彼は、想定外の反応に呆れた様だった。

別に彼の求める反応をする義務もないのだが、今回は大きく外したようでもしかしたら機嫌を損ねてしまったかもしれない。

けど、そんなことどうしようもなかった。

まるっきり彼の発した言葉の意味が分からないのだから、取り繕う事も出来やしない。


「なんだっけ、その言葉」

「本気で言ってる

「前に本か何かで見たことある様な気はするんだけど、実際に聞いたこととか無くて、意味、忘れちゃった」


本とかテレビとか、そういう向こう側の世界で使われてた気がするけど、進んでみる方じゃなかったからそういう音があった事はなんとなく覚えているけど、意味までは分からない。

覚えていないという事はさして重要じゃなくて、たぶん、私には必要のない言葉だったんじゃないかと思う。


「言われたことないの今まで度も」

「うーん、記憶してる中では無いかな」

「へぇ…まあそうだろうね」


人に言われたことがあったなら、自分に関係する事だから覚えているだろう。

覚えていないから言われたことが無いはずだ。

記憶力は別段良い訳では無いけれど、目立って悪くもないはずだ。

彼はそんな返答に納得したような、満足したような笑みを浮かべた。

最初は機嫌が良いかと思えば、悪くなってしまったかと思ったが、鳩原の返答で最初に戻った様だ。

何がそうさせるのかは分からないが、機嫌なんて悪いよりは良い方がいい。

そういえば彼は、あの言葉に対しての返答が欲しかったのだろうか。

意味が分からないからその言葉に対する返答は出来ないが、言葉の意味を推測するくらいは出来る。

推測した言葉の意味なんて言われて満足するかは分からないが、答え合わせくらいしてもいいだろう。


「その言葉の本当の意味は知らないけど、でも、犬飼君の表情でだいたいどんな意味なのかは分かるよ」

「ふーん、どんな意味だと思ったわけ


興味深いと言う様に、聞き逃すまいとずいずいっと顔を近づけてくる。

そんな風に聞く事でもないと思うけど、その距離感に気にすることなく鳩原は想像した『愛してる』の意味を告げた。


「殺したいって事でしょ殺意感じる」

「っははは…そう取るわけ?!


ものすごく至近距離で盛大に笑われた。

突然の大きな声に一瞬びっくりしてしまったが、それほどに笑われた。

しまいにはお腹を抱えてしゃがみこんでしまった。

やはり想定外の返答だったのだろう。

だけれど、気に入る答えだったのかもしれない。

間違っているけど、まるを与えたくなる様な回答だったということ。

だから、これは出題者が判断する事なんだろうと思って、まだ笑いが収まらないその背中に答えをせがむ。


「意味、違った


彼がしゃがみこんだその姿勢から、顔だけこちらに向けた。

その瞳には言葉にするには難しいけど、あえて言うなら満足感が宿っていた。

だから彼の答えを聞く前に鳩原は確信したのだ。


「…いーや、違わないかな」


肯定。

だから、彼は鳩原に対して殺したいって告げたのだと。

そんな殺意が、なんでだか心地よかった。

優しい殺意というものなのかもしれない。


「殺したいくらい愛してるって事かもね」


彼はもう一回、『愛してる』という言葉を使った。